#8.甘えという本能
癒されたいは「甘え」
10月も後半に突入して、いよいよ秋も深まって来ましたね。
11月になれば、街はクリスマスイルミを着飾り、寒さと共に人恋しく、甘えられる人にそばにいて欲しい、癒されたい・・・秋はそんな季節です。
「癒し」という言葉は、「いえる」という言葉の他動詞であり、「なおる、よくなる」という意味だそうです。要するに恋人や家族に「癒し」を求めるのは、「よくしてもらいたい、なおしてもらいたい」といっていることであり、つまり他人に「よくしてほしい」と強いていることになるんです・・・とどのつまり「甘え」ですね。
でも、この「甘え」、本来は乳児だけのものです。
乳児はミルクが欲しいとき、オムツを替えて欲しいとき、眠いときに「甘え」泣きします。
まだ眼も見えぬ乳児がミルク欲しさに泣いたりするのは、学習などではなく「本能」だから・・・持って生まれたものだからなんです。
甘えたりないとワガママに
子供のうちはその本能を、両親や祖父母にぶつけることができます。しかし、不幸なことに大人になるとその「甘え」という本能を十分に行使できなくなってしまいます。
それより不幸なことは、その本能を子供のうちに行使できずに大人になってしまうことでしょう。
甘えという本能が満たされないと、それはワガママへと転化してしまうのではないのでしょうか?甘えとワガママ、共通のところはあっても、受け取る側にまったく違うものになりますよね。「甘え」上手は異性にモテてもワガママは疎まれるでしょう。
「甘え」という本能は思春期を過ぎるくらいから異性に向けられます。
でも「お腹が空いた」、「パンツ取り替えて」と泣いたりしたところで、たとえブリッコしたとしても相手からはバカか非常識と思われるのが関の山です。それこそワガママな人にしか映りませんね。
しかし、そんな甘えを許してくれるのが「恋人」という存在。
「甘え」られることは究極の癒し
甘えることができないと不満が募り淋しさを感じるのは「本能」だから・・・「本能が満たされないから」なのかもしれませんね。
恋人がいても、一人でいても「孤独感」がある時がありませんか?
それはきっと「甘え」の本能が満たされていないときなのかもしれませんね・・。
そしてそんなときに、人は「癒し」を求めるのかもしれません。
たぶん、究極の「癒し」とは、「甘え」させてもらうことなのかも・・?
この人肌恋しい季節、「恋人が欲しい」・・・そう思うのは感傷的になっているわけではなく、本能がごく自然に究極の「癒し」を求めているということなんでしょうね。
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